第12回:「余力」には値札が付く。でも、「余力」がない組織はもっと高くつく

前回、AIによって仕事が効率化され、時間に余裕が生まれたとき、その時間をすべて新しい仕事で埋めるべきなのか、という問いを取り上げました。

今回は、その先にある「余力」について考えてみたいと思います。

人員に余裕がある。

スケジュールに余裕がある。

設備の稼働に余裕がある。

こうした状態を見ると、

「まだ効率化できるのではないか」

「もっと仕事を入れられるのではないか」

と考えたくなるかもしれません。

確かに、余力にはコストがかかります。

しかし、ここで考えてみたいことがあります。

余力をなくせば、本当にコストは減るのでしょうか。

平常時だけを見れば、余力は「ムダ」に見える

たとえば、5人で回せる仕事を6人で担当している部署があったとします。

何も問題が起きていない日だけを見れば、

「1人分、多いのではないか」

と感じるかもしれません。

人件費は数字として見えます。

空いている時間も見えます。

設備が止まっている時間も見えます。

そのため、余力は「削減できるコスト」として認識されやすくなります。

では、その部署をぎりぎりの5人で回すことにしたらどうでしょうか。

全員が出勤し、仕事量も予想どおりで、トラブルも起きない。

そんな日であれば、おそらく問題なく回るでしょう。

しかし、組織は毎日そのように動いてくれるとは限りません。

一つの「想定外」は、どこへ行くのか

一人が急に休職となった。

顧客から予定外の大きな依頼が入った。

納期が変更された。

システムに障害が起きた。

新人のフォローに時間が必要になった。

急な退職者が出た。

こうしたことは、組織では珍しいことではありません。

では、すでに人員も時間も100%近く使っている組織に、こうした「想定外」が入ってきたら、その負荷はどこへ行くのでしょうか。

多くの場合、それは消えてなくなるわけではありません。

誰かが残業する。

管理職が本来の仕事を止めて対応する。

別の仕事を後回しにする。

休憩時間を削る。

他部署に応援を頼む。

場合によっては、品質を落としたり、納期を延ばしたりする。

つまり、平常時に削った「余力」は、問題が起きたときに別の形で必要になります。

余力は、何もしないための時間ではない

ここでいう余力は、「社員を暇にしておけばよい」という意味ではありません。

余力とは、

予定外の出来事に対応できる時間。

他の社員を支援できる能力。

一度立ち止まって考えられる余裕。

改善や教育に手をつけられる時間。

変化に対応するために使える人や組織の能力。

そうしたものを含んでいます。

目の前の仕事ですべての時間を使い切ってしまえば、日々の業務は回せても、改善のために立ち止まることができません。

新しい人を育てる時間もなくなります。

問題が起きたときに原因を考えるより、「とにかく今日を乗り切る」ことが優先されます。

すると、同じ問題がまた起きても、再び誰かが頑張って「応急処置」をすることになります。

一見すると効率的でも、組織として学習したり、修正したりする余地がなくなっているかもしれません。

見えるコストと、見えにくいコスト

余力を持たせれば、人件費や時間といったコストは数字に表れます。

これは、とても見えやすいコストです。

一方、余力がないことで発生するコストは、少し見えにくいものです。

管理職の疲弊。

業務の遅延。

ミスややり直し。

教育の先送り。

改善活動の停滞。

誰か一人しか分からない仕事が増えること。

そして、人が辞めたときに初めて明らかになる組織の脆さ。

これらは、一つひとつ別々の問題として扱われることがあります。

しかし、その背景に、

「平常時に、組織をぎりぎりまで使っていた」

という共通した構造が隠れている場合があります。

「どれだけ減らせるか」だけで考えない

もちろん、余力は多ければ多いほどよい、という話ではありません。

必要以上の人員や設備を抱えれば、企業の負担になります。

重要なのは、

余力をなくすことそのものを、効率化だと思わないこと

ではないでしょうか。

どこには余力が必要なのか。

どの程度なら合理的なのか。

何が起きたときに、その余力を使うのか。

逆に、どこには余力を持たせる必要がないのか。

会社の事業、仕事の性質、変動の大きさ、求められる品質などによって、その答えは異なります。

だからこれは、単なる「人員を増やすか、減らすか」という話ではありません。

どのような変化まで吸収できる組織をつくるのか、という経営の設計の問題です。

余力には、確かに値札が付きます。

人件費も、時間も、設備も、数字として表れます。

しかし、

余力がないことで支払うコストは、問題が起きるまで値札が見えないことがあります。

平常時の効率だけを見るのか。

それとも、変化や想定外が起きても機能し続けられる組織をつくるのか。

「余っているように見えるもの」を削る前に、

それは本当にムダなのか。それとも、組織が変化を吸収するための力なのか。

一度、考えてみてもよいのではないでしょうか。

上部へスクロール